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北九州初の飛行場
日本の近代産業を支える基盤を築き、今日まで歴史的な変貌(へんぼう)を遂げてきた福岡県北九州市。
未来への架け橋 北九州市の近代化とその遺産
福岡県北九州市は、産業革命期から「鉄鉱石や筑豊炭田の豊富な石炭を利用した重化学工業」により、日本の産業界における重要な地位を築き上げました。
空の玄関口である北九州空港は現在、福岡県北九州市小倉南区空港北町と京都郡苅田町空港南町に跨(またが)る人工島に位置する空港(海上空港)です。
現在の北九州空港の前身は昭和19年(1944年)に開港した軍用飛行場としての「曽根飛行場」です。北九州市小倉南区曽根北町に位置し、日本陸軍の軍用飛行場として利用されていました。
曽根飛行場の歴史は、日本の近代化と軍備拡張の時代に根ざしており、その設立は国防と技術進歩の必要性から日本陸軍によって様々な軍事活動に利用されました。特に、太平洋戦争(第二次世界大戦)中には、重要な拠点の一つとして機能しました。
飛行訓練から実戦への出撃基地として、
曽根飛行場の始まりには歴史的背景があるんですね。
終戦を迎え、連合国軍に飛行場は接収(せっしゅう)されアメリカ合衆国陸軍の管理下に置かれることになります。その後は、米軍による接収も解除され昭和28年(1953年)12月に民間飛行場「小倉空港」として当時、滑走路1,500mでの供用開始。
さらに昭和48年(1973年)には「北九州空港」へ名称変更し、平成3年(1991年)には1,600mまで滑走路延長されています。
戦時中の「曽根飛行場」から「小倉空港」そして「北九州空港」、さらには平成18年(2006年)3月16日に機能を移管し現在の海上空港である北九州空港が開港したんですね!
北九州 空の玄関口
旧北九州空港は、福岡県北九州市小倉南区の曽根地区にあり滑走路の長さが1,600mでの運用、小型ジェット機が就航していましたが周辺地域の市街化や、騒音対策のため1日最大6往復12便と運航の制限がありました。また、三方を山に、残る一方は曽根干潟に囲まれていたため大型機の就航も困難な状況でした。
旧北九州空港の経緯を踏まえ北九州市は、昭和46年(1971年)10月に新空港の建設を国に要望。
10年後の昭和56年(1981年)12月に第4次空港整備計画に2,500m級の新規事業として選定。
さらなる利便性を高めるため、新たな場所への空港新設は必要不可欠だったんですね。
海上空港である北九州空港は、大型ジェット機が就航可能な2,500mの滑走路を有する空港として、平成18年(2006年)3月16日に開港。昭和46年に新空港建設を国へ要望し、35年後に新空港誕生となりました。
北九州空港は、日本国内外の多くの都市への玄関口として機能しています。
2024年10月現在、大型貨物機が安全に運航可能にするため、3,000mの滑走路延長工事が2023年12月2日から着工しています。現行の滑走路が延長されると大型貨物機の長距離運航も実現、北米・欧州への貨物直行便の運航が可能となり、さらなる機能強化が期待されています。
地域経済の活性化と国内外へのアクセス向上を目指して、こらからも北九州空港は多くの旅行者と貨物を扱い、地域の玄関口として重要な役割を果たしていくことになっていきますね。
日本初の国産旅客機 YS-11
昭和28年(1953年)12月に民間飛行場となった小倉空港では旅客機が小倉空港、大阪伊丹空港間で定期路線を就航したのがはじまりです。
- 昭和31年(1956年)5月:全日空(全日本空輸株式会社)の前身である日本ヘリコプター輸送株式会社が1日1往復「小倉空港」~「大阪伊丹空港」間で就航。
- 昭和39年(1964年)6月:オランダ フォッカー社製「F27型機」が「小倉空港」~「羽田空港(正式名称:東京国際空港)」間で就航。
- 昭和41年(1966年)11月:日本初の国産旅客機「YS-11」が「小倉空港」~「大阪伊丹空港」間で就航。1983年(昭和58年) 10月に定期便運航終了。
日本初の国産旅客機「YS-11」は、1962年8月30日に初飛行に成功しました。この機体は、日本の航空技術の粋を集め、国内外で運用され1973年までに182機が製造。YS-11の開発は、第二次世界大戦後の日本の復興を象徴するプロジェクトであり、国産技術による航空機製造の可能性を世界に示す重要な一歩となりました。
全日空(全日本空輸株式会社)のYS-11は、昭和39年東京オリンピックの年にデビュー!親しみを込めて「オリンピア」という愛称がつけられました!
引用:北九州空港の概要
引用:【ANAアーカイブス】聖火を運んだ国産旅客機 YS-11オリンピア
北九州空港 海上空港としての魅力
北九州空港は北九州市の東部、周防灘沖3kmに建設され日本で数少ない海上空港の一つであり、
この立地は、北九州空港を利用する際の魅力の一つとなっています。
四方を海に囲まれているため、航空機騒音の影響も少なく九州・中国・四国地方では唯一、24時間空港として運用が可能となっています。
- 長さ 4,125m・幅 900m・面積 373haの人工島
- 早朝・深夜便が運航
- 周辺地域における充実した高速道路網(九州・東九州自動車道)
また、海上空港であることを活かし特殊貨物のシー・アンド・エア輸送も可能となっています。
シー・アンド・エア輸送ってなんでしょう?
「海上輸送」と「航空輸送」とを組み合わせた輸送サービスのことで、例えば北九州空港へ海外から人工衛星を空輸し、空港島内の船舶接岸が可能な護岸から種子島にある宇宙センターへ船舶で海上輸送することが可能になります。
北九州空港では2021年までに5回の「シー・アンド・エア輸送」実績があります。
北九州空港は海上空港という特性を活かし「海上」と「航空輸送」の組み合わせによるシー・アンド・エア輸送が可能になるんですね!
海上空港である北九州空港のもう一つの大きな魅力は、その美しい景観です。
空港のある人工島は、自然の美しさを損なうことなく設計されており、周囲の海と調和しています。
この地域は、美しい海岸線と豊かな自然環境で知られており、空港からもその素晴らしい景色を楽しむことができます。
また、北九州空港は、環境に配慮した海上空港として、自然との共生を模索しています。
海に囲まれた人工島上に位置し、北九州空港へのアプローチはまるで海への入口のようです!
北九州空港大作戦
北九州市では、さらなる機能強化に向け「北九州空港大作戦」を打ち出し2024年2月20日、第1弾の発表を行いました。
今後、北九州空港のポテンシャルを高め、より多くの「ヒト」と「モノ」を呼び込み北部九州圏の発展を牽引していくプロジェクトになります。
空港アクセスへの強化や24時間空港の利点を活かし路線の維持や拡充などこれまで以上にスピード感を持って様々な施策を打ち出す予定となっています。
新たなイノベーションで持続可能な社会に向けた、より利便性の高い空港へ生まれ変わる重要な取り組みですね!
この度の記事作成について
1983年(昭和58年) 10月、最終日となった旧北九州空港~大阪伊丹空港定期便。
旧北九州空港「国産旅客機YS-11」
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