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北九州の歴史
私たち山本建設の地元、福岡県北九州市。
関門海峡に面し、古くから九州の玄関口としての役割を担ってきました。
関門海峡といえば、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘(1612年)をした巌流島が有名ですね。
北九州(小倉)の歴史は古く、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時代の有力者に仕えた細川 忠興(ほそかわ ただおき)が、豊前国小倉藩初代藩主となり1602年(慶長7年)に小倉城を建造。
小倉藩主として歌や茶を好み、海外貿易にも力を入れ、城下町として栄え賑わいのある町になっていき、小倉を中心とした約39万9千石の土地を治めました。
また、無病息災、天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛などを祈願し城下町が繁栄するようにと、地元である私たちにも馴染みの深い「小倉祇園太鼓」を誕生させた事でも知られています。
細川忠興は京都の町をお手本に町づくりを進め、現在でも、室町・京町など京都の地名に由来した名称が残りその他、米町・馬借町・魚町・船頭町など仕事内容を町名にした名称が江戸時代から残っています。
「小倉祇園太鼓」は2019年(平成31年)3月に、国の「重要無形民俗文化財」として指定されています。
長崎街道
江戸時代に入ると徳川幕府は参勤交代を義務付け交通整備の為、江戸(東京都)と地方を結ぶ五街道をつくり、脇街道(わきかいどう)として山陽道や長崎街道などの十街道を開通させていきました。
長崎街道は、豊前国小倉(北九州市小倉北区)の常盤橋(ときわばし)を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る路線で57里(約223.8 km)の道程で九州で唯一の脇街道(わきかいどう)となります。
この街道には25ヶ所の宿場が置かれ、大変な賑わいをみせていました。
脇街道(わきかいどう)ってなんでしょう?
江戸を起点とする「五街道」以外の主要な街道のことで、総称で脇街道(わきかいどう)と呼ばれています。五街道に接続する脇街道を整備することによって「地方と江戸」、また「地方間の連携」に大きく寄与してきました。
脇街道(わきかいどう)は、脇往還(わきおうかん)や脇路(わきみち)とも呼ばれます。
「五街道」には以下の主要幹線道路があります(すべて江戸日本橋が起点)
- 東海道(とうかいどう)
- 中山道(なかせんどう)
- 甲州街道(こうしゅうかいどう)
- 日光街道(にっこうかいどう)
- 奥州街道(おうしゅうかいどう)
福岡藩内には「筑前六宿(ちくぜんむしゅく)」街道があり活気ある宿場町でした。
- 黒崎宿(北九州市八幡西区)
- 木屋瀬宿(八幡西区内)
- 飯塚宿(飯塚市)
- 内野宿(嘉穂郡穂波町)
- 山家宿(筑紫野市)
- 原田宿(筑紫野市内)
江戸時代から全国の道路交通ネットワークを整備、長崎街道は九州の大動脈!
街道沿いには「ひと」・「もの」・「情報」などが行き交う大きな宿場町があり、地域の発展、文化交流に大きな役割を果たしてきたんですね!
文明ロード
江戸時代は鎖国体制であった為、長崎街道は外国との窓口を開いていた長崎から西洋文化や中国文化などを伝える唯一の文明の道として「文明ロード」といわれ、日本の技術や文化なども、長崎街道を通り海外へ広まっていきました。
「文明ロード」は「ひと」「もの」「情報」交流の観点から、たいへん大きな役割を担っていたんですね。
また、長崎には海外から砂糖が船運によって大量に陸揚げされ、長崎街道を経て京都、大阪、江戸へ運ばれたことから、別名「砂糖の道」「シュガーロード」とも呼ばれています。
当時、砂糖や卵などは貴重品だったので、とても重宝されました。
砂糖やお菓子と深く関わった長崎街道。「丸ぼうろ」「長崎カステラ」「ひよ子饅頭」といった南蛮菓子が現在でも多く残っていますね。
また、小倉の町人は虫歯が多かったという資料も残されています。
江戸時代から重要な役割を担ってきた「長崎街道」ですが、時代は移り変わり明治維新後、鉄道の開通によって役目を終える事となっていきます。
日本の近代化に貢献
歴史ある北九州は、明治維新以降も日本の産業発展にとって重要な役割を果たしていき、九州鉄道の開通・筑豊炭田・官営八幡製鐵所など日本の近代化に大きく貢献しています。
幕末から明治時代にかけて日本の近代化に貢献した産業遺産群、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が、平成27年7月5日、第39回ユネスコ世界遺産委員会において、世界文化遺産に登録決定されました。
この遺産群は、北九州市を含む8県11市にまたがる23資産からなり、北九州市からは、官営八幡製鐵所関連施設が構成資産に含まれています。
世界文化遺産として「八幡製鐵所 旧本事務所」「遠賀川水源地ポンプ室」などがあり、その他「旧大阪商船」「旧門司三井倶楽部」「JR門司港駅」など多くの産業遺産が残されています。
引用:北九州市公式ホームページ 北九州市の世界遺産についてより
1901年(明治34年)には官営八幡製鐵所が創業、その後北九州地域は日本の四大工業地帯の一つとして発展。
北九州市が誕生したのは1963年(昭和38年)の2月10日。
門司市・小倉市・若松市・八幡市・戸畑市の5市対等合併により北九州市となり同年4月1日に政令指定都市となりました。
北九州市誕生から2024年現在、61年になります。
私たち山本建設の本社がある若松地区にも、国登録有形文化財として「旧古河鉱業若松ビル」「上野ビル(旧三菱合資若松支店)」などがあります。
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福岡県北九州市は、産業革命期から「鉄鉱石や筑豊炭田の豊富な石炭を利用した重化学工業」により、日本の産業界における重要な地位を築き上げました。
この記事を書いたスタッフ
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